2008年08月05日

『秘伝 大学受験の国語力』石原千秋著 「やがて哀しき学歴コンプレックス」

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石原 千秋

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「やがて哀しき学歴コンプレックス」


 本書について気になった点がいくつかあるので、以下、順に述べたいと思います。

 まず前半部分ですが、大学受験の現状について述べている箇所があります。著者自身の学歴コンプレックスの裏返しなのか、大学入試にまつわる話がよほど好きとみえて、この部分に結構な字数を割いています。その中には「上智大学は最近ちょっと元気がないが」といった記述、あるいは、これまで「MARCH」と呼ばれてきた関東の私立大学群に学習院大学が加わろうとしていることを受けて、「学習院大学の規模で大丈夫だろうか」などという記述もあります。これらの大学関係者にしてみれば、一浪してもそれ以下の三流私立大学にしか行けなかった人間にそのようなことを言われる筋合いはないというのが本音でしょう。
 
 また、早稲田大学と慶應義塾大学を比較している箇所では、受験学力の高い中高一貫校からの進学者が新入生に占める割合が早稲田大学では5割を切っていると述べている部分があります。著者がデータの出典を示していないので、この数字がどの程度正確なものなのか、私にはわかりません。しかし一つ言えるのは、中高一貫校といってもそのレベルはピンキリであり、それらをひとまとめにして「受験学力が高い」とするのは話が大雑把すぎるということです。逆に、いわゆる中高一貫校ではなくても、各都道府県の公立トップ校には今でも高い進学実績を挙げているところが多く、6年制を採用しない学校だからといって、直ちにそれらの高校がこの著者の出身高校のように底辺校であるとは言えないということを記しておきたいと思います。

 早稲田大学に関する前半のこれらの記述を受けて、あとがきに、「もう一つ言い訳を書いておこう。前半の記述を読んで、早稲田大学に少し厳しすぎるのではないかと思う読者もおられるだろう。理由は簡単で、僕が早稲田大学に勤務しているからである。慶應義塾大学に勤務している人が書いたら、慶應義塾大学に厳しく書くだろう。それが、フェアネスというものだ」というくだりがあるのですが、この著者はフェアネスの定義を大きく履き違えています。
 
 フェアネスというのは、自分の置かれている立場からひとまず距離を置き、客観的な事実だけを拠り所にして物事の判断を下す態度を指します。この著者の場合であれば、自身が早稲田大学の教員であるということを一旦括弧に入れ、その上で改めて早稲田大学の諸々について何らかの判断を下すような態度です。ですから、そのように自身の立場をきちんと括弧に入れたうえで下された評価であるなら、それが結果的に当の早稲田大学にとって有利なものになってしまったとしても、それは何らフェアネスに反するものではない。ところが著者にはこのロジックがわからない。だからこそ、あとがきにあるように、早稲田の教員であるか慶応の教員であるか、つまりその人の属性なり立ち位置がどこにあるかによって判断の軸も変えるのがフェアネスであるというような頓珍漢な結論に至っているわけです。このように、著者が考える「フェアネス」は、結果として本来のフェアネスの定義から最も遠いものになっています。このあとがきを読む限り、率直に言って、あまり頭のいい人ではないなというのがこの著者に対して持った私の印象です。
 
 ついでですので、本編に当たる入試問題の解説部分についても簡単に感想を述べておくと、これといって特に目を引くような論考はありませんでした。読者を圧倒するような哲学的素養があるわけでもなし、かといって、その素養の不足をカバーするだけの論理的明晰さがあるかというと、それもない。要するに何もないのです。力のない者が分かったつもりになって書いたような、ひどく退屈な解説でした。

(以上は当ブログ管理人がamazon.co.jpに投稿したレビューを再掲したものです)続きを読む
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